

前号ブログで鹿児島市内を歴史散策したことを綴った。鹿児島の現地の人と話すと、せごどん(西郷隆盛)と大久保利通とでは随分と評価が違うことを知った。そもそも敬称をつけるかどうかという違いも聞かせて戴いた。そんなにも違うのかと驚いてしまったが、歴史書によく書かれているとおり、大久保利通は近代国家日本の礎を作った方であることは間違いない。その大久保が最期になったのは東京の清水谷である。日にちは明治11年5月14日。霞が関にある屋敷を2頭立ての馬車で出かけた大久保は、午前8時30分ごろ、潜んでいた6人によって襲撃されたのである。そこは先日の全国都道府県議長会会場となった都道府県会館から坂を下ったところにある。
その清水谷を訪ねてから僅かな日をおいて甲突川にある大久保利通の銅像の前に立つと不思議な思いになる。
今、日本は分岐点に立っている。大久保利通のように日本全体を鳥瞰する力が必要であることを感じる。
太田 正孝
選挙区:岡山市北区・加賀郡

